福岡・けやき通り & 箱崎の小さな本屋

Independent Small Bookstore in Fukuoka since 2001

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「毎日新聞(夕刊)」 2006年4月14日

 近年、街から姿を消しつつある商店に本屋、喫茶店、映画館がある。いずれも大型書店、全国チェーンのカフェ、シネマコンプレックスの隆盛と軌を一にする現象だ。自由競争ゆえの淘汰としても、文化を流通面から支えてきた”小店”はもはや役割を終えたのか? 大型商業施設の時代、街づくりの気概を持ち各地で踏ん張る店主たちに寄稿してもらった。

踏んばる”小店”文化 本屋 大井 実

良書にふれる地域インフラ

 福岡市の中心部、けやき通りに15坪ほどの本屋を開いて今月で5年になる。ここ数年来、書店は全国で年間1000店以上のペースで廃業が続いている。そのほとんどが当店のような小さな「街の本屋」だ。当然、個人で新規開業する人間などめったにおらず、そのせいか開店以来多くのメディアに取り上げていただいた。  華やかなバブル期から、国内外で芸術・文化系イベントの開催に携わってきたが、イベントは一過性で、その場にいる特定の人としか感動を共有できないことに限界を感じていた。もっと継続的で、興味のある人とない人のギャップを埋めるような方法で文化を伝達する仕事がしたいとの想いから「本屋」という職業を選択した。  開業準備の過程で、次第に出版・書店業界の独特なシステムがわかってきた。その代表的なものに「パターン配本」の仕組みがある。出版社や取次(問屋)が設定した書店ランクに従って新刊書籍が自動的に送られてくる。送られてきた本をそのまま並べるので、どの店も規模に違いこそあれ品ぞろえが代わり映えしない。「金太郎飴書店」などと呼ばれるゆえんである。 また、一冊本が当たると出版社は似たような本を次々と出す。それらを並べようとすれば、必然的に書店は大型化の方向に向かう。  しかし、それが読者にとって本当にいいことなのか。現代は大量の情報があふれている一方で、それらを取捨選択するのに多大なエネルギーが必要な時代でもある。情報が多いことが一概によいわけでなく、量は少なくなくても良質で本当に必要なものがあればよい。これを書店に当てはめれば、つまらない本を初めから並べないことも店づくりの重要な要素となる。忙しい顧客に代わってきちんと本をセレクトすることこそ小さな店の存在意義ではと考えた。  そこで、商品はすべて自分で選書し、配本に頼らずこちらが注文したものしか置かないようにした。手間のかかる小さな店ならではのシステムともいえるが、返品が少なくてすむメリットもある。大型書店のように量でなく提案する内容(品ぞろえ)が勝負となるが、あくまでも地域に根ざした「街の本屋」でありたかったので、マニアックな専門書店にならないバランスを心がけた。ただ、「大人向けの店」を意識していたのでコミックは置かないことにした。  「街の本屋」というスタンスへのこだわりは、以前イタリアで暮らした体験から出たものだ。これらの街では小さな個人商店が多く、どこもウインドーディスプレーなどで自店の特色を表現している。そんな店の集まりが雰囲気のある街を形成する重要な要素だと感じたことが、地域と結びついて個性を出せる店をやってみたいと思った理由だ。  日々の仕事においては、小さな店のメリットである顧客との距離の近さを生かし、その嗜好を踏まえた丁寧な品ぞろえに留意している。当然、仕入にはこちらの思い入れが強く働くが、商売である以上、売れない本をいつまでも並べておくわけにはいかない。だから、お客さんが本を買うことは、その本を当店に残すための投票をしてくれているようなものだと思える。品ぞろえは、いわば店と顧客との「コラボレーション」なのだ。  現代はインターネットが万能で、それさえあれば本は必要ないような錯覚を覚えてしまいがちだ。しかし、本は単に情報を得るだけの道具ではなく、感動や情緒を伴った心の栄養となる食事のようなものである。写真や装丁、紙質やインクの臭いなどを含めて五感を刺激する官能的な要素も持っている。私自身、これまでそんな本からたくさんのヒントや喜びを与えてもらったし、それを多くの人に伝えたいとの想いがこの仕事の原点となっている。  ベストセラー『国家の品格』の著者、藤原正彦氏は、その前著『祖国とは国語』(新潮文庫)の中で「国語教育絶対論」を展開し読書の重要性を明快に論じている。このような本がよく売れる時代に希望を感じるし、魅力あふれる本と身近に接する機会を提供する「街の本屋」は、地域になくてはならない「文化インフラ」だと思っている。そんな気概をもって日々「棚を耕す」ことを続けている。 (おおい・みのる=書店ブックスキューブリック店主)