6/9『福祉の起原』発売記念 安立清史×村瀬孝生トークセッションを開催します!
本年3月末で、九州大学を退職され「超高齢社会研究所」を立ち上げられた安立清史さんの最新刊『福祉の起原』の発売を記念したトークセッションを6月9日(金)にブックスキューブリック箱崎店で開催します。お相手は、宅老所よりあいの代表で、『おばあちゃんが、ぼけた。』、『ぼけと利他』など数々の著作にファンも多い村瀬孝生さんにつとめていただきます。
『福祉の起原』は、人々の心が、ある種の絆を求めているにもかかわらず、戦争や疫病などによって分断されていく複雑な世界で、さまざまな問題の解は、現実に与えられた選択肢だけではなく、その外側にもあるのではないかといいう問いかけから書かれた本です。戦争と福祉のはざまで、未来への起点となる「起原」は何度もくり返しやって来る。その可能性を見逃さず、つかみ直すために、「銀河鉄道の夜」「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」を手がかりに、私たちに何が必要なのかを示す刺激的な一冊です。
一方、NHKの番組でもとりあげられ大きな反響を呼んだ「よりあいの森 」の施設長村瀬孝生さんの新刊『シンクロと自由』は、「お年寄り一人ひとりの時と場にチューニングしてみると、ケアしているぼくがケアされていることに気がつきます」と綴られます。万策尽きて、途方に暮れているのに、希望が勝手にやってくる。誰も介護はされたくないし、誰も介護はしたくないのに、笑いがにじみ出てくる。しなやかなエピソードに浸っているだけなのに、気づくと温かい涙が流れている。そんな自由と不自由の織りなす不思議な物語です。詩人の谷川俊太郎さんからも「人を具体から抽象へ誘う哲学書」と評されるなど、福祉関係者のみならず幅広い層の方々から静かな反響を呼んでいます。
異なった立場から福祉に関わるお二人が、お互いの最新作をテーマに熱く語り合う興味の尽きない対談となること思いますので、ふるってご参加ください。
『福祉の起原』発売記念 安立清史×村瀬孝生トークセッション
日 時:2023年6月9日(金)19時スタート(18時30分開場)
会 場:カフェ&ギャラリー・キューブリック
(福岡市東区箱崎1-5-14ブックスキューブリック箱崎店2F・
JR箱崎駅西口から博多駅方面に徒歩1分)
出 演:安立清史、村瀨孝生
参加費(要予約):税込2,500円(1ドリンク付)
※オンライン配信も行います。
※終演後「サイン会」を開催いたします。
※終演後に同会場で懇親会あり(参加費2000円・軽食と1ドリンク付・要予約)
※参加費は当日受付にてお支払いをお願いします。
※ご予約後の無断キャンセルはご遠慮願います。
▼会場参加ご予約はこちら(税込2,500円・1ドリンク付き)
①Googleフォーム
https://forms.gle/4ywGwMXu8kMsMErH7
<サンドイッチのご予約承ります>
イベント会場では全粒粉サンドとたまごサンドをお召し上がりいただけます。事前予約制にてご注文を承りますので参加お申込みの際に合わせてご予約ください。(Peatixで申込みのお客様には申込確認後、希望確認メッセージをお送りします)
★全粒粉サンド(税込320円)
全粒粉ブレッドを使用したワンランク上のサンドイッチです。
レタス・パストラミハム・チーズの組み合わせが抜群です。
★たまごサンド(税込270円)
▼オンライン参加ご予約はこちら(税込1,500円)
https://store.shopping.yahoo.co.jp/kubrick/202305132.html
◎お問い合わせ:ブックスキューブリック箱崎店
TEL:092-645-0630
Mail hakozaki@bookskubrick.jp
出版社HP:https://genshobo.com/archives/11899
第一章 「福祉の起原」―起源と起原
起原をめぐる問い―なぜ「歴史」ではなく「起原」なのか
「福祉」の語源をさかのぼる
「福祉」を定義する二つの方法―エスピン=アンデルセンの『福祉資本主義の三つの世界』をめぐって
介護と福祉の社会化はどこへ向かうか―「宅老所よりあい・よりあいの森」から考える
第二章 戦うことと戦う
「プラハの春」と「言葉と戦車」
投下と回心―イスクラ(火花)の行方
戦争をくぐりぬける―ヴィトゲンシュタインと「戦争」
第三章 起原のあとの未来
銀河鉄道という謎
「雨ニモマケズ」のほうへ
選択肢の外にある可能性
失われた可能性を求めて―あとがきにかえて
●詩人の谷川俊太郎さんのコメント
《僕は視力が衰えてきて手元に拡大鏡が手放せない有様ですが、280ページ余を休み休み読み、「北極と岡山にある郵便局」で爽快なカタルシスを味わいました。これは何と言うか、人を具体から抽象へ誘う哲学書でもありますね。
この本には言葉より先に「現場」がある。それに比べると僕が書いているような「詩」には言葉しか(日本語しか)現場がない、それがいつも僕を苛立たせ、詩という書きものに疑問を感じさせているのです。その不満がまた僕の詩を書くエネルギー源になってもいるのですが。
この本を読んでいると、以前だったら書いている村瀨さんの側に立っていたと思うのですが、今や書かれているお年寄りの側に立っている自分に気付きます。鶴見俊輔さんは言葉を人間語、生き物語、存在語というふうに分けていましたが、老いてくるとおいそれと言葉にならない存在語の方に気持ちが寄っていきます。お年寄りが発する存在語に詩で近づきたいというのが目下の見果てぬ夢です。》
――谷川俊太郎