「文藝春秋」 2006年9月号 佐久間文子(ライター)
本屋探訪⑮ 街の小さな本屋のつくりかた
二〇〇一年に開店。映画「2001年宇宙の旅からの連想で、店名は「キューブリック」となった。
大井実さん(45)が「書店をやりたい」と相談した十人中九人が「やめておけ」と言った。年間千店近い閉店があるなかでの個人の開業に、書籍の取り次ぎ会社は冷淡を通り越して無関心だったが、逆風をついての出発を、珍しがったり、おもしろがったりする人もいた。
開店した年に、全国の書店が集まる「本の学校」のイベントに呼ばれた。「街の本屋」の先輩格にあたる、鳥取・定有堂書店店主の奈良敏行さんの推薦で、奈良さんは、開店前に話を聞いたなかで「頑張ろうよ」と言ってくれた数少ない一人。大井さんも「無人の荒野を行くわけではないんだな」と思ったという。
東京、イタリア、大阪など各地でイベント制作などの仕事をしてきた大井さんは、独立して書店をやると決めてから、高校卒業までいた福岡の書店でアルバイトした。福岡は全国でも有数の書店激戦区だ。ジュンク堂書店、紀伊國屋書店、丸善が至近距離にひしめき、八重洲ブックセンターはすでに撤退している。
アルバイトをしながら、大井さんのなかには「超大型書店への違和感」がふくらんでいったという。「みんなどんどん忙しくなって、何千坪もの本屋さんをゆっくり回る時間なんてないでしょう。超大型書店って時代に逆らうものだと思ったんですよ」。
もともと、自分が子どものころからなじんできた本屋は、それほど大きなものではなかった。自分がやる本屋にはコミックも学習参考書もいらない、文庫本もそれほどたくさん置かなくていい。ばっさばっさと削っていったら、だいたい二十坪でいい、ということになった。
市の中心部からほんの少しはずれたけやき通り、樹齢七十年ほどのけやき並木が続く、散歩にぴったりの一角に見つけた店舗は十五坪で、思ったよりはちょっと狭いが、イメージした店内を作れるんじゃないかなと思った。 「小さな店だから、在庫を回転させシビアに手を入れていくことで十五坪を何倍にもふくらませられるんです」 窓を大きくとり、ゆったり本を置いた。通りから見ると、店内で本を立ち読みする人が自然と絵になっている。 昔、暮らしたことのある、イタリアの本屋をイメージしたそうで、店のデザインは奥さんが手がけた。
開店してからの苦労話は拍子抜けするぐらい出なかった。ローンを組んで店舗を手にいれたときは、いざとなったら人に貸せば何とかなると腹をくくったが、開店当初からいろいろな記事にとりあげられ、人が集まった。売り上げもじわじわと伸び、三カ月目からはアルバイトを置けるようになった。
ホームページに載せいているベストセラーリストが、いっぷう変わっている。谷川俊太郎の詩集や、川上弘美の小説が上位に並ぶ。 「小さな店なので少し売れると上位に入るんです(笑)」。ベストセラーをあえて置かない本屋というのもいやなので、と『ダヴィンチ・コード』も『東京タワー』も置いてあったが、ひっそり品よく、ほかの本と同じように並べられている。ベストセラーの中では、『きょうの猫村さん』(マガジンハウス)がめちゃくちゃ売れる。ほのぼのした感じが、店の空気と合うのだろう。
入って右手に、建築、デザイン、映画や音楽のコーナー。夫婦二人とも興味があるので充実させている。食べ物や旅の本、雑誌も揃っている。 「客注に力を入れていて、お客さんからの問い合わせを受けていろいろ調べているうちにわかったんですけど、美術や建築にちょっと興味を持った若い世代に提供できるような書籍やムックがあんまり出てないんですね」 五年やって、かつてのリブロポートや京都書院、光琳社出版といった版元が出していたような本がなくなっていて、穴が埋めきれていない、と感じるそうだ。
住まいも店から五分のところにあって、夕方いったん帰り、家族と食事をしてから店を閉めに戻る生活だ。「ほとんどこの一帯から出てません。のんびりした性格なので、のんびりした商売が向いてるみたいです」。 ふらっと入ってきたなかに、東京の絵本出版社の社長だった人がいた。自分も本を出しているので置いてよ。いいですよ。次にきたとき本当に置いてあったのを喜んで、つきあいが始まった。福岡での絵本のイベントに出店したりするうちに、店の中の絵本の棚も充実した。
けやき通りの個人店主どうしの横のつながりもできてきた。東京の不忍通り周辺で年一度開かれる、一箱古本市を福岡でもやってみたくて、秋に企画している。熊本の老舗書店の跡取りが「キューブリック」を気に入り、自店をリニューアルするにあたっては夫婦で協力した。
大井さんが書店を始めるにあたってたくさん読んだ本のなかで、『物語のある本屋』(胡正則・永岡義幸著、アルメディア)、『子どもの本屋はメリーゴーランド』(増田喜昭著、晶文社)、『就職しないで生きるには』(レイモンド・マンゴー著、同)の三冊が参考になった。「就職しないで生きるには」のシリーズの中の、『ぼくは本屋のおやじさん』(早川義夫著、同)は暗くなってしまうので、これから本屋をやりたい人にはあまりおすすめできないと苦笑する。何かを始めるとき、楽観的になってみるのは案外だいじなことかもしれない。