「ヌワラエリア オーナー 前田勝利さん」
おいしいカレーが食べたくなった時。遅い時間に友人とお茶を飲みたい時。本を読みながら一人でゆっくりしたい時。そんな時に立ち寄りたくなるのが、今回の「物語のあるお店」でご紹介する「Nuwara Eliya(ヌワラエリヤ)」だ。オーナーは建築家の前田勝利さん。ギャラリーMORITAの森田さんも同席し、建築や写真集、本、アートなど幅広い話に花がさいた。
『ひょんなことから、ショップ経営へ』
ショップの設計が見直された高度成長期。当時、設計士だった前田さんが、ものづくりの真の面白さに目覚めたのは、フリーになって施工までを手掛けたのがきっかけ。
大井:まず前田さんがお店を始めるまでの経緯をお聞かせください。
前田:僕は高校卒業後、東京の建設会社の設計部門に入りました。まわりは東京工大や早稲田の建築を出た人が多くいて、相当刺激を受けました。あの頃は、高度成長期で東京オリンピックを控えていましたから、設計というだけでも相当の応募があったんです。でも僕は試験に遅れて行ったくらいで(笑)、そんなに執着していたわけではなかった。そうはいっても、子どもの頃から絵を描くのは好きだったし、建築そのものは自分には向いていたんでしょうね。そういう意味では、学歴はなかったけれど、センスの部分ではそれなりに競争できたのかな。
以来、昭和39年に福岡支店に転勤した頃もビルや病院建築などを主に設計していました。でも本当は住宅やショップなどの設計に興味があった。当時はまだ少なかったのですが、高度成長期に入ってブランド品などが売れてくるでしょ。そうするとショップの方が面白くなってきた。だから建築士の資格を持っていない内田繁のようなデザイナーが出てきたりしたんでしょう。
大井:設計をやっていたのに、どうしてお店を?
前田:それがね、ひょんなことからこうなってしまった、やらざるをえなくなったというか(笑)。
大井:そのひょんなことをお伺いしたいですね。
前田:時代の流れがそうだったのか、住宅やショップづくりに興味があったからでしょう。僕はその時点で、設計を主体とした工務店ということで、施工も手がけたんです。それによって動く金額も大きくなるし、そして造るというのがもうね、めちゃくちゃ面白いんですよ!30代前半で会社をやめて、あとはずっとフリーです。
営業したことはなかったけれど、たまたま友達のお姉さんが喫茶店をやりたいというので、時間もあるし一生懸命に造ったんです。ちょうどその時、前の会社の連中が、その会社ではできない仕事、例えば取引先の役員の家みたいな仕事を持ってくるわけですよ。そこがたまたま溶鉱炉を造る会社だった。話しているうちに、溶鉱炉に使う煉瓦があるじゃないですか、それを分けてもらえることになって。それでその喫茶店の壁を全部煉瓦にしようと、8tトラック1台分を普通の建材屋さんで買うよりもずっと安い値段で持ってきてもらいました。その上、質はものすごくいいわけです。そういうふうな過程が面白いわけ。できあがったら、通りすがりの人が見て、電話をかけてくるんですよ。だから、この空間を見て自宅を造ってくれませんかという話も舞い込んでくることがあるんです。まだ実ってはいませんが(笑)。
大井:ものを作り上げる面白さってありますよね。
前田:一つひとつの職人仕事が面白いんだよね。それを現場でコントロールしていく面白さもある。建築の場合は、それにかかる時間が長いから行程表に書けるけれど、店舗の場合、とにかく時間がない。それはそれでまた面白いわけです。
『スリランカに飛んだ』
なぜ、カレーだったのか。きっかけは、1本の電話だった。
大井:けやき通りに開店する前は、浄水の方で営業されていたんですよね。 当時からカレー中心だったのですか。
前田:そうですね、今いるコックたちはその頃からずっと同じ。なぜカレーかというと、レストランを設計した際にそこのオーナーが紅茶を出そうとしたのですが、紅茶といえばスリランカだというわけでスリランカ大使館に電話したんです。その時に紹介されたスリランカ人が自由に日本語を操れる人で、すぐに意気投合してしまった。
その彼がコックを連れてくるからレストランをやりませんかというわけです。44才くらいだったかな、ちょうど何かをやりたいなというのはあったので。帰りの飛行機の中でカフェを「ヌワラエリヤ」、バーを「スコール」という店名に決めたんです。スリランカでばーっとスコールにあったことがあって、こりゃ面白いと。 それでコックが来たのはいいんですが、ワーキングビザがなくて、入官から怒られてね。当時はビザを簡単におろさない時代だったから苦労しました。1年後にようやく受付けてもらって、それまでに味が変わったりして店はボロボロでしたが、よし地道にコツコツやろうと思って今に至ります。時間はかかりましたけどね。
『"本を贈る"という楽しみ方』
自分の世界をぐんぐん広げてくれる、本との出会い。前田さんが提案するのは、贈る楽しみ。
大井:一番お好きな建築家はどなたですか?
前田:僕は、やっぱりアルバー・アールトが一番いいですね。
大井:その意見には、ものすごく賛成です。最高ですよね。
前田:僕も20数年前に見に行きましたよ、アールトを。鳥肌が立ちました。何でもない、本当に何でもない建築なんですけどね。
大井:でも、とてもヒューマン。
前田:そう!何かこう空間から、あったかさがバーッと伝わってくるというか。ああいうスケール感が日本の建築にはなかなかない。日本なら吉村順三とか村野藤吾とか、あそこらへんがいいですね。
大井:吉村順三の「小さな森の家-軽井沢山荘物語」という写真集は、ずっとロングセラーです。
前田:あれは、いい本ですよね、あまり建築に詳しくない人にプレゼントするにも最高です。僕は、お歳暮やお中元に本を贈るっていいと思う。一昨年、東京から「古道具坂田」の坂田和實さんが来られた時に、彼の「ひとりよがりのものさし」という本を、知り合いに「はい、お歳暮」と何册も配ったことがある(笑)。本っていうのは、そういう使い方もできるんです。変なものを贈るよりも絶対に喜ばれる。
森田:本は、その人に未知の世界を与えられますからね。
大井:それにしてもここには、本当に最高の本がありますね。本選びについて、お聞かせ願えますか。
前田:僕の場合、子どもの頃から本が好きというわけではなかったんです。小学校の頃は、野山や海、川を駆け巡り、自分で遊び道具を作っては夢中になって遊びました。でも中学か高校の頃だったかなあ。新潮社の「100册の本」っていうのがあったんです。これをとりあえず読んでみようと思ったのがきっかけだったような気がします。
担任の先生が、夏休みなどに長篇の本を1冊選んで読んでみたらいい、そういう夏休みの過ごし方もあると言われたのも印象に残っていたんでしょう。たしか吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ記憶があります。 その後、建築を始めて、最初は仕事の一貫として買い始めたんですが、だんだんだんだん面白くなってきて。同じく本好きな先輩から、面白い本を教えてもらったりしました。ウィルソンの「アウトサイダー」を読んだ時、あー、これは面白いと思って。そうなると、自分でもどんどん買い始めるでしょ。それがエスカレートしていって、もう雑貨感覚になってしまった(笑)。この椅子を買うのと同じ感覚で、本を見るようになったんです。これは面白そうとか、表紙がキレイだとか、そういうものも含めて買っていく。そのうち面白い作家に出会って、その作家の作品を片っ端からという具合に。
『思い出深い、なじみの書店たち』
月払いだから、好きな本を出会ったその時に好きなだけ。そんな贅沢な本の買い方があった。またお気に入りの作家とのさまざまなエピソード。
前田:そういえば、福家書店で本を買う時は月払いでしたね、ずっと。以前は、天神コアの中にあった。僕がフリーになった頃、天神コアのリニューアルの内装管理責任者になったことがあるんです。各ショップの図面を見て、消防法とかのチェックをしたり。そういう仕事をけっこうしていました。
大井:今、天神にたくさんあるファッションビルのはしりの頃ですよすね。
前田:ええ、面白かったですね。それから、新天町の「積文館」にも思い出があります。ある時、ショーケースの中に村野藤吾の限定の写真集があったんです。すぐに欲しいと思ったんですが、その時にお金を持っていなくて。当時下に入っていた靴屋(現「ギャラリーおいし」)に飛び込んで、知り合いの娘に「ちょっと金を貸して」って。それで買ったんです。彼の写真集は、後からいっぱい出ますけど、これに敵う作品集はないと思う。(ページをめくりつつ)これは醤油屋さんが醤油を搾る柱を利用した建物ですけど、空間構成がいいですよね。この本を手に入れた時は、うわあーっ と感動しました。
大井:出会った時に買っとかないとですね、こういう本は。ところで前田さんは、絵もお好きなんですよね。
前田:はい。「ギャラリーおいし」のご夫婦から宇治山哲平の版画をいただいたのがきっかけで、それからですね、僕が絵を集め始めたのは。でも若い頃は抽象画というのがなかなか理解できなかった。なぜこんなのがいいと言われているのか、どうしたらそういう良さがわかるようになるのかと。でも、やっぱりずっとわからないんですよね。自分も絵を描くんですけど、どうしても具象的なものになるじゃないですか。なんであんな絵ができるのかなというのが、ずっとひっかかっていたんです。そしたらある日突然、わかるようになった。あ、これはいいなあと思うように、いや感じるようになったんです。
今でいえば、野見山暁治先生の絵が好きなんですよね。あの絵というのは、やっぱりなんでこんなにいいと思うのかなという不思議がある。ある時、ヨーロッパでルーブル美術館に行ったんです。これは有名な絵だから一応は見ておこうと思うけれど、何か違うかなという気がして。野見山先生の油絵は、実は一点だけ持っています。熊谷守一も、僕は絵ではなく書から入った。あの頃で3万6千円くら いだったかな。当時、それほど知られていたわけではなかったですけど。昔、「フォルム画廊」というのが福岡にあって、そこに熊谷守一のクロッキーがあってね、10万だったのを覚えています。その時、小川廉太郎という先生が「これ、欲しいな、これ欲しいな」と言っていた。今思うと、熊谷守一のラフが画面からふわっと浮いてくるような、そういう絵でした。それとあの頃は、香月泰男が出てきていました。直接会ったことはないのですが、彼の長男が僕と同じ会社だったようで。「親父は、有名らしいぞ」と聞いていました。あの頃はブームだった。だからね、ついつい買ってしまうんです(笑)。
『僕がいいなと思う、作家』
"節操なく"買い集め、現在進行形で耕している前田さんの本棚。こんな古本屋さんがあったら通いたくなる。
前田:絵と同じで、昔、小林秀雄を読みあさったことがあるんですよ。でもやっぱり訳がわからないんですね。「無常ということ」という本をいつも持ち歩いて、もう何回読んだかな、それでもわからない。要するに、かちっとこういうことだというよりは、抽象画のように何かぼやっとした感じなんです。でも、ある日突然、ああいいなあと思うようになった。
大井:ずいぶんたくさん本を持っていらっしゃるんでしょうね。
前田:僕の机のまわりは、雑誌やいろんなものがどんと来て通れないんですよ(笑)。床が抜けるって、みんなに言われます。それでこの間、トラック2台くらい雑誌類を捨てました。「住宅建築」とか「家庭画報」とか「新建築」の古いやつも全部。家にもまだけっこうあるんで、今度の古本市にも出しますよ(笑)。
大井:古本屋さんをやってほしいな。そういう店があったら通いますよ。
前田:そうですねえ、でも売りたくないなあ(笑)。今、店の2階にある本なんていうのは、わりとマニアックに集めたものなんですよ。僕は谷沢永一をね、ほとんど買っています。最初は、新聞か何かに書いてあった書評に衝撃を受けたんです。それでずっと追いかけていたら、その前から開高健も買っていましたけど、当時彼らは同じ年齢で、谷沢の家に開高が遊びに行くんです。そして本を借りて、夜中まで話す。当時、大阪の同人誌に「えんぴつ」というのがあったみたい。その中では作品を片っ端からけなすの、最後はイヤになってやめたらしい。それを聞いた若い頃の藤本義一が、戦艦大和が沈没したようなそういう心境になったと何かに書いていたのを読んだことがありました。
谷沢永一の「紙つぶて」を友人に貸してあげたら、書評だと思って軽い気持ちで読み始めたら、あの本はとんでもない本だと言っていました。文庫本とハードカバーとあるんですが、この間、人にあげようと思って探したら絶版になってました。それが谷沢栄一との出会いです。あ、こんな生き方があるんだと思って。だから吉行淳之介の文章なんかも、なんでこんないい文章が書けるんやろと。技を全然出さない、それでも上手いんですよね。いかにも書いてますという匂いがしないんですよ。
大井:それにしてもいろんな本がありますね。
前田:とりあえず節操なく買ってるんでね。
大井:かなり、私の好みに近いです。
『店づくりは、街づくり』
けやき通り歴25年の前田さん。一軒の店が連なり、1本のストリートになるまでの軌跡を見つめてきた。
大井:ところで、けやき通りを選んだのはどうしてですか?
前田:特に選んだというわけではなかったのですが、ビルのオーナーと友達だったんです。浄水(通りのお店)を閉めて、どこか別のところでやりたいと話していたら、うちの2階でどう?って。あんたの店やったら良さそうだからって。今、7年目くらいです。「ツナパハ」の方は12年目くらいですね。
大井:とても居心地のいい空間ですね。
前田:そう言っていただければ嬉しいです。けやき通りにあるので、春先から秋口まで、季節を楽しむことができます。
大井:けやき通りは、当時どんな街だったのですか。
前田:随分と変わりましたね。僕が来たころは、喫茶店は「アトラス」というのが1軒きり。今の柳川屋といううなぎ屋があったところでした。25年くらい前になるかな。 だから、僕はものすごく長いんですよ、けやき通り歴。
大井:喫茶店といえば、「林檎」さんも古いですね。
前田:あ、あれは僕が設計したんですよ。ガラス張りにして外観を目立つようにしましたが中は閉鎖的な造りなので、けっこう落ち着くんです。もうずっと昔のままのカタチです。でもけやき通りは、護国神社の森や大濠公園があるから意外に人がいない。 それで商売するのにはキツイなというのはありました。もう少し横から群れて来ることができるような状況を作っていけたらと思います。そういえば昔、銀座から銀行を追い出そうという運動があったらしいです。銀行は昼3時くらいになるとシャッターが締まるでしょ。もちろん、土日も閉まる。こういうのは困るから裏通りの2階に行ってくれと、みんなが。そういう意識を持たんといかんですよね。
大井:もっとパブリックな感じの小規模店舗があればいいですよね。
前田:そうですね、何かそういうふうな運動をした方がいいですね。
大井:今度の「ブックオカ」というイベントもそのひとつだと思っています。
前田:面白いですよね、僕も段ボール箱の本を持って参加しますよ(笑)。
『完璧じゃない、それがいい』
いろんな人が、いろんなカタチで自由にアートと出会い、結びつく。そんな街が生まれるといい。
大井:最後に今後の目標などをお聞かせください。
前田:本当はね、もっとこの店の中で雑貨類をアピールできればいいなと思っています。版画類も含めて、自分が持っているものをという意味ですが。僕は、こういうちょっと変わった椅子が好きなんですよ。これは永井さんから、これはクランクで。これは脚立にもなる。こういうものに僕は惹かれますね。 大井:前田さんは、「アートをたずねる月」の活動にも関わっておられますが、街をアートで盛り上げるということについてお聞かせください。
前田:あまり強要するつもりはないんですけど、みんながすっと入ってこれるような状況を作ることが大切かな、それによって面白いと思ってもらえれば。「アートをたずねる月」にしても去年は参加したけれど今年は参加しないという店も何件かあるかわりに新しく入ってくる店もあるんです。全部が全部いいですねと賛成しなくても、私はこうであるという人がいても、かえってその方がいいのかなというふうに思います。 そういうカタチで淡々とやる中で、賛同できるんだったらどうぞ参加してくださいという感じ。それで意識が高まっていけばいいかなと。アートにしても本にしても悪いことなんてひとつもないじゃないですか(笑)。あとは自分がそうものと接触した時に、どういう感動をするか。それは個人差だからね。そういうものをどこかで味わってもらえたらいいですね。
大井:それにしても、ここは前田さんのキャラクターが伝わるような居心地がいい空間ですね。
前田:いや、本当に雑多ですよ。でもまあ完璧じゃないかもしれないけど、それが気に入ってるんです。
大井:長時間にわたり、どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。 (おわり)
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