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第3回 「-SO-」

 「OH!あなたもSOですか?私もSOが好きです。」
 これは先日知り合ったばかりのイタリア人と、住所交換をしたときの彼のリアクション。
彼の流暢だが日本人とは微妙に異なる発音で発せられた-荘-という響き。なんとなく、古い集合住宅についてるもの、くらいにとらえていたこの単語が急に新鮮なものに思える。
 そう-ソオ-SO、、、こんな感じだろうか。例えば海外での宿探しのとき、オーベルジュやアグリツーリスモなどの響きの中に単なるホテルとは違った個性をとらえイメージを膨らませるが、-SO-という響きにもそんな個性が含まれていることに気づく。
 2年前、作業場を独立させるため、住居は少しでも安いところをと、いろいろな物件を探しまわった。予算の関係上アパート、コーポなどに的は絞られ、さんざん吟味したうえでセレクトしたのが今住んでいる-荘-だ。初めて部屋に入った瞬間の、単に古いだけではない心地よさ。壁に反射する光一つとっても、それは奥深いやわらかさで部屋をつつんでいた。
 実際に住み始めると、これがいろいろな意味で奥深かった。かつ手強かった。たとえば、大体においてこういう古い物件には、その建物の主のような方がいらっしゃる。まぁ先駆者と言おうか、ここに住んで35年みたいな人、あらゆる意味で建物を管理統括されている人。
 そこで、まずは彼(彼女)の敷いたルールを掌握しなければいけない。これは、もちろん不動産屋さんの契約書に書かれている取り決めなどとは全く別ものだ。無論マニュアルなどあるはずもなく、日々体得していくしかない。
 もちろん騒音などは論外中の論外、ありえない。音楽など聴こうとしても、極小音量でかえって落ち着かず、結果家ではほぼ無音状態。ドアの開け閉め、2階の廊下を歩くときなども細心の注意を払う。だって「壁が落ちるから」と言われれば従うしかないだろう。向こうが正論である。もちろん設備なども旧式のものばかりで、、、となると一体どこがいいんだ、と言われそうである。が、しかしである。
 例えば我が荘でいえば、庭-ガーデンの存在、これが大きい。玄関のドアを開けてから、アトリエへの道に出るまでの十数メートル程の空間。四季の花々の他、キンカン、山椒などが奔放に栽培されている様は、仕事前のカタさをほぐしてくれる。今はアジサイが満開だし、少し前まではケシの花がユラユラとアシッド感を撒き散らしていた。(これは自生です)部屋の裏にも通り庭があり、そこからは花梨の木漏れ日が美しい影を落とす。
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 さらには共同の洗濯干し場。これがまた至極便利。各自の住居スペースを圧迫せずに、広々と設置されているので乾きも最高、パキパキだ。これからはシェアの時代と言われるが、コルビュジェのユニテ・ダビタシオンを例にとらずとも、少し前の日本では当たり前の事だったのだろう。
 そして、この洗濯干し場や庭を美しく保ってくれているのが、誰あろう例の主やその他の先達。そう、彼らはダテに口やかましいわけではないのだ。よい関係を築ければ、急な雨のときなど、洗濯物がさりげなく軒下に取り込んであったりするし、採れたての竹の子を頂戴したりもする。思えば、ドアの開け閉めや足音に気を使う事で、自然と所作が変わってくるし、嗜みといったものも意識し始める。音楽も昼間に散々楽しめる環境なので、家では本を読めばよいだけの話だ。
 イマジネーションや知恵を駆使した結果が日々の生活に反映される楽しさ、お膳立てされすぎた生活からは得がたい経験である。きっと冒頭のイタリア人もそんなところを感じとっているのだと思う。
 確かに荘の生活は楽に楽しめるものではない、むしろ緊張感すら伴う。それは対人関係だけではなく、庭の植物や老朽化した建物との関係においても。しかし、そういった緊張感も本当の心地よさの中には必要なのではないか。少なくとも自分は-ユルクていい感じ-などと形容されているカフェなんかに行くと居心地が悪くてしょうがない。日本人が受け継いできた生活様式や空間感覚、そこには必ず適度な緊張感が含まれていて、人々に影響を与えてきたのではないか。
 最近は、古くからの学生街である箱崎でも荘の数は減ってきている。かくいう我が荘も定期貸家の条件付だ。諸々の事情から仕方のない面もあろうが、味気ないマンションばかりが増えていくのを見るのは、やはり寂しい。
 建物は失われても、せめてそこから受け取った感覚は失わずにいたいと思う。