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第5回「九大TRIP -1-」

 高校卒業以来、久々の福岡暮らし。それも1年ほどが過ぎた頃だったろうか。どうにも引っ越したくてたまらない、いや引っ越さなくては死ぬぅ、くらいな状態が訪れた。
 綺麗に整えられた街は、適度に都会。コンパクトにまとまった範囲でなんだって揃うように思える。少しいけば自然にも恵まれ、そのうえ物価も安い。程よい地方色もある。住んでたマンションは新築ピカピカ、東京では考えられなかったゆとりある生活、、、とくれば、なんだ理想的な住処じゃないの、と思いましょう?
 が、でも、しかし、butである。
「この街では窒息してしまう」これが当時の偽らざる心境。それもかなり切実。とはいえ諸々の事情もあり福岡県内からは動けない。死ぬのはイヤだしどうしよう、と候補地を探しているときに箱崎を訪れた。
 まずは定番、箱崎宮。フン、子供の頃にきた放生会が懐かしいねぇ。ぷらぷらと街中を歩く。中央区とは明らか異なる空気に、フンフンここなら息苦しさも和らぐかもな、なんてぷらぷらを続ける。そのうち九大の塀沿いにでる。歴史を感じさせるレンガ造り。フンフンフン、良い感じだねぇ、朗らかに正門から敷地に入る。
・・・衝撃が訪れた。
 そのとき味わった光景を的確に描写する文章力はなく、みなさんの想像に委ねます。だが自分の全細胞が一気に活性化するような、自身が原子レベルでガクンと組み変わったような瞬間。
あの感覚は今も忘れることができない。
 ここは何処ですかいっ???落ち着きを取り戻し、自分の生まれ育った福岡にこんな場所があったことに驚く。いやもちろん九大は知っていた。が、まぁ学力を主たる理由として自分には全く関わり&興味のかけらも無いところだったということ。まさに不覚である。
 西欧の香り漂う建築なども素晴らしいが、しかしそんな表層の奥にドキドキする予感を感じる。
抜けのよさ、隙間だらけな感じ、、、そう、この1年飢え続けていた感覚がここには溢れていた。
 あれから3年半が経とうとしている。その間、幾度九大を訪れただろうか。
散歩、思索、探検、、、、こちらの勝手な日々の要求に、いつも驚きをもって答えてくれたこの場所。おかげで、旅に出ずとも日常は鮮度を保ち、もちろん窒息死することもなく今日に至っている。
 だが、その九大も約10年後の完全移転を控え、日々活力を失っていくように感じられる。近頃は保存に向けた動きもずいぶん出てきているし、いくつかの歴史的建築物は保存されるかもしれない。
 しかし、建築マニアが喜びそうなそれらの建物以外の -例えば、人気のなくなった建物の裏庭や、そこに咲きほこる野花達が放つ光、例えば小さな小屋とそこに寄り添って立つ木との親密な関係-  そういったものは、移転後には完全に消失してしまうだろう。 いや、現在も木々はむやみに伐採され、使われなくなった建物にはベニヤが打ち付けられ、まるで放り捨てられたような状態だ。
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 何でもかんでも保存するべきだ、などと言うつもりはない。むしろ、そういったものは「保存」という名目で手を加えた瞬間にきらめきを失ってしまうだろう。
 しかし、何十年と働いてきた建物に対して、またその周辺の(設計者や管理者の思惑などを超越した)環境に対して、最期の瞬間まで目を向ける愛情があってもいいのではないか。 九大を歩き「あの愛らしい建物が、このまま朽ち果てるだけというのは、どうにも口惜しい」と言った友達がいる。そういった場所から受けとった感覚とともに作品を作った友達もいる。
 大学関係者各位、どうぞもっと自分達の足もとに目を向けてください。きっと、そこにこそ九大が100年という時をかけて積み重ねてきた、この地でしか生まれ得なかったが豊かさが宿っているのだから。