「アヴァンティ」 2009年2月号
人格のある本屋
けやき通りに小さな本屋が現れたのは、2001年のこと。何でも揃う大型書店とも違う、昔ながらの近所の本屋とも違う、異質な佇まいをした13坪の空間。その書棚には、アート、建築、デザイン関係があるかと思えば、哲学、心理、社会学、ビジネス書もある。でこぼこしたセレクトを眺めると、まるで誰かの書斎に入ってしまったような人間くささが感じられる。これは店主大井実さんの仕業。彼のフィルターを通した意志あるセレクトこそ、書店激戦という渦も横目に、マイペースで営業を続けてこれた由縁だろう。
本は咀嚼するもの
大井さんの学生時代は、ラグビー部に所属する体育会系でありながら、一方では本や映画の世界にはまるインドア青年でもあった。
カフカやドフトエフスキーから古今東西を超えた普遍的な人間の本質を学び、雑誌「ポパイ」の発信するカルチャーに衝撃を受ける。本は、狭い世界から解き放ってくれる貴重な情報源だったという。
「本の情報は、食事と同じ。何度も食べてみていい情報かどうかわかる。まず口にふくんでみて、噛んで、味わって、おなかに入れて、違和感がないかどうか次の日の具合も確かめて。そうして咀嚼する体験をして、自分なりの答えを見つけて、初めて身になるもの」。
しかし現代は、さっと検索してすぐに"答え"を知ることができるネットの時代。
「答えをすぐに見つけた気になって、体験した気になってしまう。それは単なるつまみ食いでしかない。答えを探したいという飢餓状態もなく、情報が与えられているというおなかいっぱいという状況なんでしょうね」と大井さんは嘆く。
「まちの本屋」であること
本屋をつくる上で、若いころ住んだイタリアに学ぶことが大きかった、と大井さん。
「何百年も前の建築が当たり前に残っている。子どももおばあさんも同じ景色を見て育っている。その共通意識があることで、世代間のコミュニケーションがスムーズになっているんです。そしてイタリアでの驚きは、小さな町で消費が完結しているということ。どうせ同じもの買うなら顔が見える人のお店でものを買う。ただの消費行動ではない、人と人との気持ちの交流みたいなものがある」。
普遍的ものが書かれている本は世代間の共通意識にもなりうるし、まちの本屋は人との交流の場になりうる。大井さんはこの小さな本屋から、大きな心の交流を生み出そうとしている。