福岡・けやき通り&箱崎の小さな本屋 ブックスキューブリックIndependent Small Bookstore in Fukuoka since 2001

「Ba-cafe Pentagram(バッカフェ ペンタグラム)」

  「物語のあるお店」の第2回目は、2002年からおよそ3年間、けやき通りにオープンしていた「Ba-cafe Pentagram(バッカフェ ペンタグラム)」。"大人の遊び場"をキーワードに、ギャラリーとカフェのふたつの顔を持つ情報発信カフェとして、地域の人々に愛されてきた。
 しかし、中心的存在であった竜田清子さんの死去により2005年末にて閉店。今は、一人ひとりの記憶の中に生き続ける幻の場所となった。

(文・構成/小坂章子)

Ba-cafe Pentagram(バッカフェ ペンタグラム)
★「ペンタグラム」創業時の5人★
清水千晴、遠山香澄、竜田清子、勝瀬志保、矢田部晴美 (敬称略)

大井:「ペンタグラム」という名前は、5人の女性で始めたところから名付けられたのですか?

勝瀬:そうですね。手足を伸ばした人形の五芒星という小宇宙としての人間を象徴しています。その他にも「木、火、土、金、水」という五元要素の意味を含むなど、円と同じく、終わりのない完全性を意味する古い言葉です。

大井:お店を始めることになった経緯をお聞かせ下さい。

勝瀬:ある時、スタッフの一人が経営するお店の手伝いをみんなですることになって。その時に仲間が自由に集い、自分を表現できるお店がやれたらいいねという話になりました。「やる!?」「やろっか」そんな感じで話がまとまり、すぐに物件を探して、わりと短期間でオープンさせましたね。

大井:ミニコンサートを開いたり、ギャラリーやサロン的な要素を持つカフェという考えは、最初からあったのですか?

清水:そうですね。スタッフ全員がフリーライターやフリーアナウンサーという職業でしたので、いつまでも社会と直に関わり、表現できる場所にできたらと思っていました。例えば、私自身はナレーションなどのお仕事をしていますので朗読会を開くなど、"大人の遊び場"として、興味のおもむくままにやっていました。この小さな空間に、最大76人ものお客様が集まったこともあるんですよ。

勝瀬:それと普通の展示会は期間が短くて、はっと気づいた時には終わっていたということが多かったので、1ヶ月間という長いスパンで展示するようにしました。

大井:展示物のセレクト方法は?何か審査をしていたのですか。

勝瀬:いちおう事前に見たり、聴いたりしましたけど、お断りすることはほとんどなかったように思います。福岡で活躍するアーティストや私達自身の表現の場として、 いろんな方にどんどん活用していただきたいと考えていました。

大井:といっても、かなり有名な方も参加していらっしゃいますね。宮迫千鶴さんや土器修三さん、森信也さんなど。自分自身、けやき通りから文化発信していけたらいいなという思いがありますので、「ペンタグラム」の存在は非常に嬉しかったんです。

清水:最初からこのけやき通りにこだわって場所探しをしたわけではありませんが、わりと都心に近いので「遠くには行けないけど、ここなら」と喜んで来てくださる方も多かったですね。  

 大井さんがペンタグラムの中心メンバーだった竜田さんと会ったのは、たったの2回きり。1度目は、「心のガーデニング」という小冊子の取材を受けた時。2度目は、大濠公園の花火大会の日、元気いっぱいの笑顔でかき氷を売っていた竜田さんに軽く会釈した時。そのうち、ゆっくり話ができたら...。そう思っていた矢先、竜田さんは癌でこの世を去った。 今回「ペンタグラム」のメンバーであり、長年の友人である2人の話を通して、思い出の中の竜田さんに会いに行くことにする。
大井:最後に、亡くなられた竜田清子さんとの思い出について少し伺いたいと思います。
勝瀬:竜田さんは、柳川生まれ。7人兄弟の末っ子で、西南大学院のフランス語学科を卒業しました。清水さんとは、同じ学科。私と遠山さんと竜田さんは福日新聞の同僚でした。
大井:竜田さんを中心にみんなが知り合い、集まったということですね。
勝瀬:そうですね。福日では文化部に所属し、12~3年家庭面を担当。教育のことやお菓子歳事記、植物などについて書いていました。でも、本当はジャーナリストを目指していたんじゃないかな。1987年には、私と竜田さんの二人で「とるばどおる舎」という編集プロダクションを立ち上げ、フリーライターとして活動をしていました。 役割としては、私が「あれ、やろう!」とアイデアを出して、竜田さんはそれを実現していくという、そんな感じだったかな。ある時、植物を探して一緒に山歩きをしたのですが、それをきっかけに生まれたのが「おとなの遠足」シリーズです。実は竜田さんがイラストを描いたのは、この本が初めて。だから二、三冊目になるにつれて、どんどんうまくなっているでしょ。だけど一冊目はイラストを描くのにかなり時間がかかって、当初半分ずつ文章を書くはずが、私がほとんど書いたという思い出があります。
清水:竜田さんがいなければ、この「ペンタグラム」もなかったでしょうね。みんな自分の仕事の時間をやりくりして、お店に出ていましたが、特に竜田さんは一番お店に立っていたんじゃないかな。
大井:でもせっかく始められたお店なのに、なくなってしまうのは惜しいですね。
勝瀬:お店を辞めようと決めたのは竜田さんで、私達も同意しました。私は、このお店があれば竜田さんが生活していくのに困らないだろうと、なんとか続けていきたいと思っていたのですが、竜田さんはこのような状態ではみんなの迷惑になると判断したのかもしれません。
大井:最後に、この場所は5人にとってどんな場所でしたか。
清水:カフェのお仕事は、想像していたよりもかなり難しかったですね。自分の仕事とのやりくりに加え、それぞれの家庭の事情も重なって、途中でやむをえず辞めるスタッフもいましたし。でも「ペンタグラム」を開かなければ決して出会えなかった多くの人と知り合えたことは、本当に幸せでした。
勝瀬:「ペンタグラム」は、竜田さんとの思い出がいっぱいつまった大切な場所。だけど、私たちはまたそれぞれの現実に向かっていく。ただそれだけです。
大井:本日は、どうもありがとうございました。
<インタビューを終えて> 今回のインタビューを行ったのは、昨年12月の最後の週でした。仲間である竜田さんが亡くなられてからまだ1ヶ月ほどしか経っていない時期に、店の後片付けをしているメンバーの方にお話を伺うのは、実際ためらいがありました。 ただ、竜田さんが当店のことを書いていただいた文章が発表された最後の文章だと聞いたことと、このウェブサイトを立ち上げた日がまさに竜田さんの亡くなられた日だったことなどから、彼女が想いを込めたこの場所を何らかの形で記録に残してあげたいとインタビューを強行した次第です。 大変な時期に、不躾な質問にお答えいただいたメンバーの方々に心より御礼申し上げます。 ブックスキューブリック 大井 実

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